「どーせむり」を「だったらこうしてみたら?」に変えてみると人生が変わる

タメになる話

「どーせむり」

苦しいとき、つらいとき、めんどくさいとき、ついこの言葉を使ってしまっていませんか?

「どーせむり」という言葉は恐ろしい言葉です。人の自信と可能性を奪ってしまう言葉です。

今回はそんな「どーせむり」を「だったらこうしてみたら?」という言葉に変えることによって人選が変わっていくんだ、という話をしていきたいと思います。

ぜひ最後まで見ていってください。何か心に刺さるものがあるはずです。それではさっそくいきましょう。

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「どーせむり」は自信と可能性を奪う言葉

冒頭でも述べましたが、「どーせむり」という言葉は恐ろしい言葉です。人の自信と可能性を奪ってしまいます。

何か困難な状況や苦しいときについつい使ってしまいがちですが、この点を深く掘り下げて考えていきたいと思います。

「どーせむり」

何度も繰り返しますが、これは人の自信と可能性を奪ってしまう最悪の言葉です。でもとっても簡単な言葉でもあります。これを唱えるだけで、何もしなくても済んでしまうのでとても楽ちんになれる恐ろしい言葉でもあるのです。

こんな言葉で未来を諦めさせられてしまった人は自信を失ってしまいます。

私たち人間は生きていくために「自信」が必要です。なので自信を無くしてしまった人の中には、お金で物を買って身を飾り自信を買うようになったり、買ったものを人に自慢するようになったり、そして人を見下すようになったり、さらに他の人が頑張ったら困るからと人の努力を邪魔するようになったりします。

こういう人があなたの周りにもいるかもしれません。自信を無くした人は他の人の自信を奪ってしまうことがあります。でもその人たちは自信を無くしてしまったかわいそうな人たちであり、しょうがなく他の人の自信を奪ってしまっているのかもしれないのです。

自信を無くしてしまった人の例として、アフリカの子どもたちの話が取り上げられていました。

アフリカの子どもたちは言います。

「自分なんて勉強したってムダだ…」

「自分なんて努力したってムダだ…」

このように自分の未来や可能性を諦めてしまった人たちが、最後には人を殺して奪うようになってしまいます。

なぜならば、頑張ることができないから、生み出すことができないから、奪うしかなくなってしまいます。暴力で奪ったり、嘘をついて奪ったり、弱いフリをして奪ったり、騙して奪ったりするようになってしまうのです。

しかし皆が奪ってしまうようになったら、社会は成立しません。再度繰り返しますが「どーせむり」という言葉は恐ろしい言葉です。

なぜ「どーせむり」と言ってしまうのか?

「どーせむり」をいう言葉も生まれた段階では誰も知らなかったはずです。ではどうして私たちは「どーせむり」という言葉を容易く使うようになってしまったのでしょうか。

小さいころ夢を持ったかと思います。プロ野球選手であったり、ケーキ屋さんであったり、最近であればYouTuberだって小さい子どもたちの夢に上がってきます。このように小さい頃は夢を持っていたのにもかかわらず、大きくなってくるとそういった夢を語らず現実思考になってきてしまいます。

そこには「どーせむり」という言葉を投げかけてくる大人の存在があるのです。そしてその言葉をかけてくる人たちに共通することがあります。

「どーせむり」という言葉をかけてくる人たちは、その事柄を実際に自分でやったことがない人なのです。やったことがないくせに、やったことがない人が考える適当な言いわけを言ってくるのです。

そのせいで小さい頃の私たちは何をしていいのか分からなくなってしまいます。何ができるのかもわからなくなってしまうのです。

「どーせむり」という言葉は必要のない言葉です。デメリットしかありません。なくすべき言葉なのです。

規模が大きい話にはなってしまいますが、「どーせむり」という言葉をなくせば、いじめや暴力、そして戦争がなくなるかもしれません。児童虐待もなくなるかもしれません。

少し、スピリチュアル的な話をします。困難に思えることでも、「どーせむり」という思考をなくせば不思議と良い方向へと進んでいくものなのです。人生、巡り合わせです。その時々に自分がどんな心境でいるかで、進む道が変わったり、出会う人が変わったりします。人と人の出会いには必ず意味があります。お互いが今までしてきた選択が全て積み重なった結果出会うことができるのです。そして人は、足りないものを補いながら助け合って成長していきます。ひとりでも生きていけるかもしれませんが、支え合いがあってこその成長なのです。

だからこそ足りないことをバカにしてはいけません。恥ずかしいとも思う必要はありません。中途半端な自分を責める必要もありません。

中途半端というのは、なにもしない、なにもできないよりも全然いいことです。少しできてるだけ十分マシです。だからこそ自分を責めることなく足りない自分をマイナスに思う必要もなく一生懸命できることをすればよいのです。

「どーせむり」をなくせばよい社会が来る

「どーせむり」という言葉をなくすにはどうしたらよいでしょうか。どうしても「どーせむり」という言葉がよぎってしまうことはあるかもしれません。そんな時はこの言葉に言い換えてみましょう。

「どーせむり」「だったらこうしてみたら?」

「どーせむり」を「だったらこうしてみたら?」に変えていくことができれば、いつか「どーせむり」という言葉がなくなって、いじめや虐待もなくなるかもしれません。この意識をもって生きていけば自信を無くすことなく前を向いていけるのかなと思います。

自信を取り戻すためにチャレンジしよう

「学問」というのは、誰かに評価されるためにあるのではなく、社会の問題を解決するために人類が生み出したものです。必死になって築き上げたものです。

「教育」というのは、失敗の避け方や責任の避け方とか要領のいい生き方を教えるものではなく、死に至らない失敗を安全に経験させるためのものであります。でもそれが今の教育ではおかしくなりつつあります。なぜならば、失敗をマイナスだと思っている大人がたくさんいるからです。その人たちが、みんなの可能性を自信を奪っているのです。

これからの社会を良くしていくためには、世界を良くしていくためには、やったことがないことをやりたがる人やあきらめない人、工夫する人が増えていけばよいのです。「どーせむり」に負けない人が増えればいいのです。

すべての人が「どーせむり」に負けない人になれます。なぜならば私たち人間は、必ず小さいころを経験しているからです。小さい頃はボタンがあったら押してみたかったはずです。ハンドルがあったら回してみたかったはずです。そして「余計なことをするんじゃない」と怒られてきたはずです。

生まれたときから諦め方を知っている人間はいません。この世にひとりもいません。諦め方なんて知らずに輝いて生まれてきたのです。でも長年生きてきた中であきらめ方を習ってしまっているかもしれません。

失った自信を取り戻すための良い方法があります。それは「やったことがないことをやってみること」です。

やったことがないことをやったら、それだけで小さな自信が湧いてきます。やったことがないことに挑んでみましょう。やったことがないことをやると失敗するかもしれません。でも大丈夫、失敗したら逃げればいいのです。

失敗したときに失敗した自分を責めてはいけません。へこむこともありません。苦しい、つらい、申し訳ない、くやしい、悲しい。恥ずかしい。こんな感情でいっぱいになってしまうかもしれません。でもそんなときこそ「成長中だ!」と思ってみましょう。思ってみるというより実際に成長している最中です。一皮むけているのです。

私たちは日々ぶっつけ本番で生きています。なので失敗して当たり前なのです。失敗はより良くするためのデータにすぎません。「失敗は成功の基」だと思って乗り越えていきましょう。

できない理由ではなくできる理由を探していきましょう。乗り越えていきましょう。

おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました。今回は、「どーせむり」を「だったらこうしてみたら?」に変えてみると人生が変わるというテーマで記事を書いてきました。

私たちは辛いときについ「どーせむり」と思ってしまいがちです。他の人に対して「どーせむりでしょ」と言ってしまいがちだと思います。それを「だったらこうしてみたら?」と言い換えてみようというのが話の大枠で、今回参考にさせていただいた動画はとても心に刺さる内容でした。下にリンクを貼っておきますので、良かったらこちらも併せて見てみてください。

参考にさせていただいた動画↓

やったことがないことをやってみる。これは難しいようで難しいことです(結局難しい)。でもだからこそ現状ほとんどの人がやってみることに躊躇してしまうと思います。ほとんどの人がやったことがない事ややりたくないことをやった時に、他の人と大きな差が付くと思います。そして自分自身も大きく成長すると思います。

やったことがないことをやってみるのは、腰が重いかもしれませんが、やったあとには大きな自信になり大きな力になるのです。

今年2023年も残すところわずかですが、年明けは心機一転やったことがないことをやってみようかなと思えるいい機会かなと思います。そのタイミングの力も借りて来年は何かやったことがないことにチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

だったらこうしてみたら?を流行らせよう。そうしたら世界が良くなるはずさ。

ではまた。

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