ベーシックインカムという言葉をご存じでしょうか?
ベーシックインカムは、最低限所得保障の一種で、政府が全国民に対して、決められた額を定期的に預金口座に支給するという政策
Wikipediaより引用
働かなくても決められた額が支給される政策。
こんな政策を耳にして、「ベーシックインカムが実現してくれないかな」なんて思っている人は多いのではないでしょうか。
機械化とかAIの進化とか、産業の効率化がこれからもっと進んでいくかもしれないわけで、そうすれば人間が働かなくてもいい社会がやってくるかもしれません。
そういう社会を実現するために必要な仕組みが、働かなくてもお金が与えられるベーシックインカムにはあるといいます。
今回はそんな、ベーシックインカムという仕組みを経済に組み込まないと、今以上に”生活が楽になる”ような効率化や自動化が起こらないのではないか?という記事を書いていきます。
参考になったり、考えさせられる内容になっていると思いますので、ぜひ最後まで読んでいってください。

ベーシックインカム導入してほしい(お金欲しい)
供給能力の向上には希望がある

今後の日本に明るい見通しを持っている人は少ないと思います。少子高齢化が進むことで労働人口の割合が減っていくわけですし、国際的にも、特に日本は経済力のある国ではなくなっていくのだろうと、ほとんどの日本人が思っているのではないでしょうか?
ただ明るい可能性があるとするのなら、供給能力そのものは過去よりも向上していく可能性があるといいます。
産業の効率化や自動化が進めばより少ないリソースで多くのものを生産できるようになり、過去よりも生活水準が上がっていく可能性はあるわけです。
実際に今の世界に生きる人たちにとって、相対的には貧乏だったとしても、ある部分では数百年前の貴族とか王族とかよりも便利で豊かな生活を享受している側面もあると思います。
何らかの発明がされたり、効率化や自動化の仕組みが作られれば、後の世代がもっと楽になっていくことは起こるわけです。そう意味では、これから供給力が上がっていけば過去よりも全員の生活が楽になっていく可能性はあるのです。
ではその供給力をどのようにして挙げていけばよいのかというと、その方法に”ベーシックインカム”があるといいます。
「ベーシックという仕組みが導入されないと、これ以上社会が豊かになっていかないのでは?」
ここについて議論を深めていきたいと思います。
技術革新は進んでいるが生活が楽になっていない問題
経済学者のケインズが、1930年に描いたエッセイで当時から100年後を予想しているものがあるので、そちらを紹介します。
技術革新が進むことで、経済的問題は100年以内に解決して、むしろ人々は余暇の多さに苦しむようになる。
生活に必要なものを満たすような単純作業は、むしろありがたがって行われるようになり、だいたい1日3時間か週15時間くらいの必要な仕事を、みんなで分け合って行うようになる…
ケインズのエッセイより引用
といった予想が書かれています。しかし今はその当時から100年近くが経っているものの、ケインズが予想したようにはなっていません。
素朴に考えれば、技術革新が進むほど生活は楽になっていくはずで、必要な労働時間はもっと短くなっていくはずです。

たしかに。
しかし現状はそうはなっていません。今でも長時間働いているにもかかわらず生活が苦しい人が存在します。それはなぜなのか。。
仕事がなくなってもいい仕組みが存在しない

技術革新が起こっているはずなのに生活が楽になっていない理由の一つとして、「そのための仕組みが存在しない」というのがあります。
供給力が向上したとしても、それを生活の豊かさに繋がるような仕組みが整備されていないということです。
よく、AIやテクノロジーが進化することによって「人間がやる仕事がなくなる」とか「仕事が奪われる」といったことを聞くかと思います。しかしそもそも「仕事が奪われる」こと自体は必ずしも悪い事とは限らないはずです。今までやっていた仕事がより楽にできるようになったり、やらなくてよくなったりするからです。
でも今の多くの人にとって、「仕事が奪われる」というのは決して良い事ではないと思います。なぜなら、それで自分がお金を稼げなくなったら困るからです。
今の社会は「仕事をしてお金を稼げないと生活できない社会」「働かないと生きていけない社会」です。なので、技術革新が起こって自分の仕事がなくなると困る人が多いわけです。
本来、効率化や自動化を進める技術革新は、それによって生活が楽になるもののはずです。少ない労力でモノが生産できるようになれば、つまり”供給力”が上がれば、より生活は楽になっていくはずです。
しかし、供給力が向上して、少ないお金で質の良いものが手に入るようになったとしても、それで自分が失業してしまうと、自分自身の生活は苦しくなってしまいます。
つまりどういうことかというと、「働いてお金を稼げないと生活できない」という今の市場のルールによって、供給力の向上が頭打ちになっているのです。

目からウロコが落ちた。
そしてそこで登場するのがベーシックインカムになります。
お金を稼ぐために供給を制限する
例えば、農作物は豊作になりすぎると供給過多になって価格が下がります。何らかの作物がたくさん作られると、供給量が増えて価格は下がるけどその価格の下がり幅ほどは需要が増える訳ではないため、豊作になることでその農家の所得が下がることがあります。
なので豊作の時は、意図的に作るのを控えたり、作りすぎた作物を破棄したりするといいます。もったいないとは思いますが、農家の人たちも作物を売ることでお金を稼がないと生活ができないのでやむを得ないのです。

お金を稼げないと生活ができないからお金を稼ぐために供給力を落とすといったことが行われているということです。
こういった「市場でお金を稼げないと生活ができない」というルールが、供給力を増やすイノベーションを阻止しているという側面があります。
供給が増えると価値が下がるため、貨幣収入を維持するために、意図的に供給を制限するのです。
これは消費者側からすると、「食料品などが一定以上に安くなることはない」ということを意味します。市場に出回る何らかの商品は、それを生産している労働者が十分な貨幣収入を得られる価格で下げ止まります。
つまり、市場原理によって、生活に必要なものが安く売られるようになっていくかというと、そうはなりません。むしろ市場のルールに縛られているからこそ、供給力が頭打ちになります。

そしてこのような仕組みで行っている以上は、いつまでたっても生活が楽にならないのです。
稼がないと生活できないという問題の解決を目指そう
ここまで見てきて言えることは、労働者の多くは下手に効率化や自動化を進めると自分が損することになるということです。自分の仕事がなくなったり、自分の生産した物の価値が落ちてしまうからです。
結果として、現状の市場のルールにおいて効率化や自動化はあまり行われにくくなっているのです。
では今以上に効率化や自動化を進めて供給力を向上させるには何をすればいいかというと、それがベーシックインカムになります。

「働いて貨幣を得られないと生活できない社会」だから、働くために供給力が制限されています。この「働かないと生活できない」という部分を解決しようとするのがベーシックインカムという訳です。
ここで重要なのはベーシックインカムは、「これから供給を増やすために行う政策」であるということです。
普通だと「すでに何らかの余剰があるから、ベーシックインカムを配ることができる」と考えがちですが、そうではなくて「これから余剰を増やしていくためにベーシックインカムをまず配る」という考え方をします。
ベーシックインカムは「市場で貨幣を稼がなければ貨幣を得られない」という現状の経済のルールを、「経済活動の前提として全員に一定の貨幣が無条件で与えられる」というルールに更新しようとする試みなわけです。
今の社会ではほとんどの労働者にとっては「働かないと貨幣を得られない社会」のはずです。それに対して「働かなくても一定の貨幣を得られる社会」にすることで、経済活動の前提となるルールを変えようとするのがベーシックインカムなのです。
お金を配ってからがスタートである
つまりベーシックインカムは「お金を配ることがゴール」なのではなく「お金を配ってからがスタート」であるということです。
ベーシックインカムを実現する手順は、まず最初に貨幣を配ります。そして貨幣を配ることで貨幣の量が増えるので、基本的には貨幣価値が下がります。
つまりベーシックインカムを配るとインフレになりやすいといえます。そしてそこから「供給力の向上」を目指します。
効率化や自動化が進んで、より少ない労力でより多くのものを生産できるようになれば、つまり供給の量が増えやすくなれば、今度は貨幣の価値が上がります。
「供給力の向上」はベーシックインカムを配ることで起こったインフレを解消し、物価をもとに戻せる可能性があるといいます。
ベーシックインカムを配ると、貨幣価値が下がってインフレになる。そのあとで供給力を向上させると貨幣価値が上がってインフレが解消される。という流れになります。

ベーシックインカムの狙いは、まずは配って貨幣価値が下がったのに対して、そのあとで供給力を向上させることで物価をもとに戻すことにあるのです。
これが実現すると、ベーシックインカムが配られた状態で物価がベーシックインカムを配る前に戻ったことになります。それが「ベーシックインカムの実現」を意味するのです。
ここまでを整理しましょう。つまりベーシックインカムは、まずベーシックインカムを配ります。それによってインフレになります。そしてそのあとで効率化や自動化がを進めて供給力を向上させます。それによってインフレが解消されます。そしてベーシックインカムが配られるようになったうえで、それが配られる前まで物価が戻ると、「ベーシックインカムが実現した」ことになります。
供給力を向上させようとするのは、まず先にベーシックインカムを配ってからなのです。つまり「すでに余剰があるからベーシックインカムを配れる」のではなく「これから供給力を向上させるためにまずベーシックインカムを配る」というやり方をするという訳です。
これから余剰を作っていくための方法
改めてベーシックインカムは、適切に余剰を分配する政策ではなくこれから余剰を作り出していこうという政策です。
そのためベーシックインカムは、いきなりそれだけで生活できるような大きな金額を配るのではなく少しずつ額面を増やしていくことを目指します。
まずは社会を大きく混乱させないような数万円程度の小さい額から初めてだんだん増やしていくことを目標にすればいいのです。
ベーシックインカムを配った後で、供給力が向上して物価が元に戻ったら、配られる側面をさらに引き上げることを検討します。そうして、「ベーシックインカムを増額することによるインフレ」と「供給力を向上させることによるインフレの解消」を繰り返すことで、少しずつ配られるベーシックインカムを増やしていけばいいのです。

全員に無条件で与えられるベーシックインカムが増えていった上で、物価が安定して経済が問題なく機能していれば、それは単純に、それが可能になるくらい効率化や自動化が進んで供給力が向上した社会になったと考えることができるのです。
こういったやり方で豊かな社会を目指していこうとするのが、ベーシックインカムということです。
ベーシックインカムは、すでに豊かな社会だから可能になるものではなくてこれから豊かな社会を目指していくための試みになります。ベーシックインカムに適応した供給力の向上は、(つまり労働しなくてもよくなるような効率化)は、まずはベーシックインカムを配ってみることで始まるわけなのです。※ベーシックインカムを配った額面の分だけ、供給力を向上させられる上限が解放されるイメージ。

ただ、いきなり大きな額を配りすぎると社会が混乱して経済がめちゃくちゃになるかもしれないので、小さい額から初めて、少しずつ増やしていこうとするということです。
市場競争による供給力の向上を疑え

ここまででしてきたような「ベーシックインカムがないとこれ以上社会が豊かにならない」という考え方に対して、「いや、ベーシックインカムなんてなくても市場競争が進むことで効率化は行われていくだろ」といった意見も出てくると思います。
市場競争において、効率的なビジネスが非効率なビジネスを淘汰していくことで、より安くて質の良いものが提供されるようになる、といった考え方はよくされていると思います。ただ、市場競争は人に楽をさせるインセンティブがありません。人を楽にしてしまうとお金が儲かりません。満たされた人間はわざわざお金を払って何かを買ったりしないと思います。
なので市場競争が激しく行われるようになっても「必要最低限のものが簡単に手に入る社会になる」といったことは起こらないのです。
例えば、経済成長すればするほど、生活必需品や家賃の値段が下がるのかというと、そうならないことの方が多いはずです。むしろ値段が上がることの方が多いと思います。
これはある側面から見れば、経済成長をすることによって生活が楽になるどころか、より生活が苦しくなっています。
生活必需品や家賃は、それが生活のために絶対に必要なものだからこそ、ビジネスの観点からしたら確実に相手にお金を払わせるチャンスになります。そのため価格が安くなりにくい傾向にあるのです。
競争が激化するからこそ生活が苦しくなる
市場競争によって洗練される部分もあります。例えば外食やコンビニの食品は、過去と比べるとだいぶ味が良くなっていると思います。同じお金で買えるものでも質が良くなったという意味では過去よりも豊かになったといっていいかもしれません。
しかしそれはそこそこでやっているような中途半端な味の店が淘汰されるということでもあるといいます。
つまり、お金で手に入るものが良くなった一方でお金を稼ぐのが難しくなっているのです。
市場に出回る商品のレベルが上がることは、消費者側にとっては良い事でも生産者側にとっては、むしろお金を稼ぐ難易度が上がって生活が苦しくなる要因だったりします。
そしてコンビニ弁当が美味しくなったとして、その分だけあまりおいしくない弁当は安い値段で売られているのかというと、そうはなりません。
ここで改めてですが、市場で売られる商品は売る側が十分な貨幣収入を得られる程度の価格で下げ止まります。なので経済成長の結果、最低限の栄養を満たせるすごく安い弁当が売られるようになる、といったことは起こりにくいのです。
市場競争は「必要最低限のものがより簡単に手に入る社会」をもたらすわけではないのです。

市場競争によって経済成長しても、「生活必需品や家賃の値段は下がりません」「でもライバルが強くなって、働いてお金を稼ぐ難易度は上がりました」なんてなったら、むしろ生活は苦しくなってしまいます。
現に今の社会は、技術革新が進んでいるはずなのに、生活が楽になっていません。そのため「市場競争が行われるほど生活が楽になっていく」といったイメージを疑う必要があります。
ベーシックインカムのような仕組みがなければ、そもそも「楽に生活できる社会」を目指すことが難しいと考えられます。
おわりに

今回は、ベーシックインカムを配らないと社会が豊かにならない理由について解説してきました。最後までお読みいただきありがとうございました。
ベーシックインカムという言葉を聞いたことや、関心はあるものの、具体的に実行するために深く考えたことはなかったのでとても面白く記事を書くことができました。
個人的に目からウロコな内容がたくさんで書いていてとても学びがありました。
以下全体のまとめをするとこのようになります。
市場競争は生活を楽にするようには働きにくく、そういったルールの上でそれぞれの労働者が「働いてお金を稼がないと生活ができない」ような状態だと、供給力を向上させて生活を楽にできる余地があったとしても、それが行われない。
そもそもベーシックインカムという仕組みがないと、これ以上の豊かさを目指すことが難しい。
ベーシックインカムに適応した形の供給力の向上は、まずはベーシックインカムを配らないと始まらないので、「すでに存在する余剰を配るための方法」ではなく「これから余剰を作り出すための方法」としてベーシックインカムを行う必要がある。
ベーシックインカムを行うと、働く人がいなくなるのでは?みたいな疑問がありましたが、今回の話から考えてみると、確かに豊かになって働かなくてもいい世界になるのであれば働く人がいなくなっても問題はないし、お金を十分にもらえることができるのであれば、働く必要もないので、ベーシックインカムは成り立つなと思いました。
ちなみに、ベーシックインカムを正式に導入している国を調べてみましたが、今のところ存在していませんでした。画期的な政策だとは思いますが、世界どこを見ても事例がないのであればなおさら日本での導入には高い壁があるのかなとも感じました。
けれど、今回の記事のように、そもそものベーシックインカムの目的、順序を国民全体で認識して行えば現実味がある政策なのではという、希望はもてたかなと思いました。
働いているうちに導入してほしいなぁ。はよ。おかねおかね。
ではまた。
コメント